Blogizumiブログ
- 2020/02/05
- コラム
パリのホームステイと職人学校
Bonjour ! 「みんなの暮らしonline」の連載の中で2月のテーマは「クレープの思い出より」書かせて頂きました。ホームステイ生活中の様子からご紹介しています。
→ https://minna-no-kurashi.jp/article/detail/2560
題材にした理由は「2月にクレープの日がある」ことを知ったから。2000年に通っていたパリ6区の職人学校Ferrandiのパティシエ・ショコラティエ・グラシエール・コンフィズリー(製菓・ショコラ・アイス・砂糖菓子職人コース)で学びました。
この学校は職人を目指す人が通うところ。パティシエに限らず、Poissonnerieポワソヌリ(魚屋)、Boucherieブーシュリ(肉屋)、料理人やウエイターなど専門職を学びます。確かCharpentier(大工)のコースもあったように思います。
上の写真は、2001年に掲載頂いた雑誌名SAITAの中のときどき連載の取材記事。偶然取材を受けたおかげで記念になりました。受講時の様子はこんな感じ。
当時の私は、前職の関係でパティシエの通訳をさせて頂くことがあって、専門用語を理解したいことと職人教育の現状を知りたかったことが主な入学動機でした。だけどやはり同期は職人を目指す人ばかり。私はちょっと異色な生徒でした。
実技は機械を使わず全て手作業で行う基本知識を学ぶことがメイン。20代後半だった私は体力的に毎日ヘトヘト。大変さを知って、プロ職人への尊敬の念が増しました。

2月の行事はChandeleur。2008年2月撮影の教会の中
みんなの暮らしonline連載へクレープにまつわるエピソードを書きおろしながら思い出した渡仏前の出来事がありました。本日は、そのことを書きたいと思います。

語学学校と別に職人専門学校で学ぶことを選んだ理由には、先に書いた2つ以外にも理由がもう一つありました。それは、渡仏前に勤めていた会社社長の言葉です。
勤めていたのはフランスから主に製菓材料を輸入する会社で、創業者はフランス人社長。社長は私が所属する部署と同じフロアの一角にいらして、私は在職中にお茶を淹れさせて頂く役目も務めていました。
「お早うございます(日本語で)」と挨拶をしながらお茶を机に置いても、普段の社長は新聞に目を向けたまま。ただ黙ったまま頷くだけでした。ところが、留学を決めた後のある日、私に声をかけて、次の2つをおっしゃいました。
「パリへ留学しにいくからには、必ず何かDiplôme(免状)を持ち帰りなさい」
「ホームステイは綺麗な言葉を身に着けて文化を知るために良い家庭を選びなさい」
*後者は、運に任せるしかありませんでしたけれど、Diplomeについては私の中では必須事項の一つになりました。

こちらの写真は、当時、偶然受けた取材記事の1ページです。2000年当時の貨幣はユーロ以前のfrancフラン。インターネットも限られた場所でしかつながらなかった頃。
初心を忘れず。貴重な体験を通して学んだこと、これから学ぶこと。フランスとの関わりで見つけることを、様々な形でご紹介していきたいと思います。今後とも、どうぞ宜しくお願いします。
