Blogizumiブログ

2020/02/05
コラム

パリのホームステイと職人学校

Bonjour !

 

2月の行事はChandeleur。みんなの暮らしonline連載へクレープにまつわるエピソードを書きおろしながら思い出した渡仏前の出来事がありました。本日は、そのことを交えておはなししたいと思います。

 

私は、99年に渡仏してフランス語の語学学校へ通い始めましたのですが、2000年からは、パリ6区にある職人学校Ferrandiのパティシエ・ショコラティエ・グラシエール・コンフィズリー(製菓・ショコラ・アイス・砂糖菓子職人コース)でも学びました。

 

語学学校とは別に職人専門学校でも学ぶことを決めたことには理由がありました。それは、

 

渡仏前に勤めていた会社社長の言葉です。

パリのホームステイと職人学校
受講時の様子はこんな感じ

 

渡仏前に勤めさせていただいていたのはフランスから主に製菓材料を輸入する会社で、創業者はフランス人の社長でした。社長は、私が所属する部署と同じフロアの一角にいらして、私は在職中に社長のお茶を淹れさせて頂く役目も務めていました。

 

「お早うございます(日本語で)」と挨拶をしながらお茶を机に置くのですが、いつもの社長は新聞に目を向けたままで目を合わせることも少なくて。ただ、黙ったまま頷く感じでした。ところが、留学を決めた後のある日、社長が私に声をかけて、次の2つのことをおっしゃいました。

 

「パリへ留学しにいくからには、必ず何かDiplôme(免状)を持ち帰りなさい」

「ホームステイは綺麗な言葉を身に着けて文化を知るために良い家庭を選びなさい」

 

この出来事から、私の中で「Diplome取得は必須」と誓いました。 

パリのホームステイと職人学校
海外からフランス菓子を学びにきていたインターナショナルクラス

 

この学校は職人を目指す人が通う学校です。私が入学したクラスはインターナショナルクラス。モロッコ、中国、マルティニック、コンゴ、そして日本から来た私。。。

 

パティシエ(洋菓子)やブーランジェ(パン職人)に限らず、Poissonnerieポワソヌリ(魚屋)、Boucherieブーシュリ(肉屋)、料理人やレストランやカフェのウエイターなど専門職を学びます。確かCharpentier(大工)のコースもあったように思います。

 

こちらは2001年に掲載頂いた雑誌名SAITAの記事。ときどき連載の取材記事に取り上げて下さったときのものです。パリには99年9月から暮らし初めていたので滞在2年目のころ。

 

偶然取材を受けたおかげで、今となっては良い記念になりました。

パリのホームステイと職人学校
2月にはChandeleurと呼ばれる行事がある

 

当時、前職の関係からパティシエの通訳をさせて頂くことがありました。そのために専門用語を理解したい目的と職人教育の現状を知りたかったことが入学動機でした。だけど、ここは職人を目指す人の学校。当然まわりは専門職を目指す人ばかりだったので、私はちょっと異色な生徒でした。

 

「職人を目指していないけれど、職人のことを本気で学びたい」

 

共通語はフランス語。みんなの年齢は私よりずっと若い。国の違い、文化の違い、考え方の違い、好みの違い。今思えば、グローバルな世界の中に身を置いていた時期だったので、特に刺激を受けていた頃かも知れません。世界は日本中心ではないこと、世界を知らな過ぎる自分自身のこと。

 

実技は、機械を使わず全て手作業から学ぶことを重視した方針でした。まずは「基本知識」を学ぶことが目的。当時20代後半だった私は、体力的に毎日ヘトヘト。

パリのホームステイと職人学校
2月にはChandeleurには、クレープを食べる習慣がある

 

お菓子教室とは違って、引き出しを開けて原材料の計量や道具の準備、製造して完成したら、片づけて厨房の床掃除をするまでの厨房同様の作業の日々。道具も大きくて、当時の天板はまだ重かった。いろんな大変さを知って、プロ職人への尊敬の念が増していきました。

 

私にとって、実技の試験は…体力的にほんとに辛かった。

 

そして、2月にはChandeleurという行事があることを知りました。このことは、お菓子の専門学校やフランス家庭で暮らしからこそ知ることができた習慣のひとつです。

 

パリのホームステイと職人学校
偶然取材していただいた「成功する留学」の記事

 

この時「ホームステイ」の特集がありました。パリでホームステイしている人は少なかったようで、偶然に街中で声をかけられました。そんなご縁から取材して頂いたときのものです。

 

2000年当時の貨幣はEUROユーロより前の「FRANCフラン」。多機能の携帯電話はなかったし、デジタルカメラも高価だったし、パソコンでインターネットにつながる場所は限られていて、データ情報も少なかったから、いろんな情報は自分で歩いて、探して、見つけていたころ。

 

これからも初心を忘れずに、貴重な体験を通して学んだこと、これから学ぶこと。フランスとの関わりで見つけていくことを、様々な形でご紹介していきたいと思っています。

 

今後とも、どうぞ宜しくお願いします。

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